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リコ・ロドリゲス(Rico Rodriguez、本名エマニュエル・ロドリゲス Emmanuel Rodriguez、1934年10月17日 - 2015年9月4日)は、ジャマイカ、キングストン生まれのトロンボーン奏者。初期ジャマイカ音楽における最高のトロンボーニストの一人とされる。 == 経歴 == アルファ・スクール在学中、トロンボーンの演奏を学ぶ。同校で講師をしていたドン・ドラモンドにもトロンボーンの演奏を教わった。ドラモンドは後にスカにおけるトロンボーンの第一人者となる。 1950年代にリコはラスタとなり、同じくラスタのドラマーであるカウント・オジーと密接に関わるようになる。カウント・オジーはプリンス・バスターやロイド・マタドール・デリーなどの大勢のプロデューサーとレコーディングをしていた。ワレイカ・ヒルにあるラスタのコミューンに集まり、後のザ・スカタライツのメンバーとなるドン・ドラモンドやトミー・マクック、ジョニー・ムーア達と一緒にセッションを繰り返していた。 1961年、ワレイカ・ヒルの仲間に引き止められるも渡英〔渡英しなければ高い確率でザ・スカタライツのメンバーになっていたと言われる。〕、英国のレゲエバンドで演奏を続けた。1976年にアイランド・レコーズと契約、代表作である『マン・フロム・ワレイカ』をレコーディングする。 1970年代後半に、新たに2トーンが生まれると、リコは2トーンバンドザ・スペシャルズに参加する。最も記念すべき演奏の一つ、「ア・メッセージ・トゥ・ユー・ルーディ」にも参加している。 1996年からは、他の仕事とも平行してジュールズ・ホランド&ブルース・オーケストラに参加、更なるトロンボーン奏者としての活動を続けた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「リコ・ロドリゲス (音楽家)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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